語源はギリシア語の “ethnos”(民族)と “grapho”(記述)に由来し、「文化記述」とも訳される。
社会科学や文化人類学で発展したこの手法は、近年ではビジネスやUXデザインに応用され、ユーザーの暗黙的なニーズや文脈的な行動理解に用いられている。
提唱者と背景

引用:https://blogs.lse.ac.uk/lsehistory/2017/06/13/bronislaw-malinowski-lse-pioneer-of-social-anthropology/
エスノグラフィーの基礎を築いたのは、イギリスの人類学者 ブロニスワフ・マリノフスキー(Bronisław Malinowski) である。
彼は1910年代、南太平洋のトロブリアンド諸島に赴き、長期滞在しながら島民の生活を観察・記録した。これにより、「現地での参与観察(participant observation)」という調査手法の重要性が示された。
デザイン上に関わる利用方法
UXデザインやサービスデザインの領域では、エスノグラフィーはユーザーの“言葉にできないニーズ”や“無意識の習慣”を発見するための重要な手法として活用される。
活用方法:
- ユーザーの生活現場や利用環境での行動観察
- ワークプレイス(職場)における業務プロセスの現地観察
- 家庭や移動中など、ユーザーが製品と関わる場での没入的なインタビューと記録
これにより、ユーザー自身も意識していない「ペインポイント」「回避行動」「文化的背景」が明らかになる。
エスノグラフィー調査とUX設計
ユーザーの行動は、コンテキスト(周囲の環境)の影響を受けることがある。しかし、エスノグラフィー調査の特長は、ユーザーが自然な状態にあることで、外部からの不自然な干渉を最小限に抑えられる点にある。人々や文化を社会的・文化的な視点から観察し、その仕組みを理解することを目的としている。
UX/UI分野においても、エスノグラフィー調査は重要な手法である。対象者が自然な文脈でプロダクトやサービスを利用する様子を観察し、そこから得られた体験をもとに分析を行う。この点において、あらかじめ立てた仮説を検証するリサーチ手法とは対照的である。
エスノグラフィー調査の有効性
エスノグラフィー調査は、その特性から以下のような場面で有効に機能する。
- ユーザーの実際の利用状況を把握したいとき
設計者はプロダクトやサービスを利用するユーザーの行動を予測して設計するが、実際の利用状況が想定と一致しているかを確認する必要がある。そのような場合に、自然な環境での行動を観察することで、より正確な利用実態を把握できる。 - 複数のサービスの利用状況を俯瞰したいとき
ユーザーがどのように複数のプロダクトやサービスを組み合わせて使っているかを知りたい場合にも有効である。 - 問題の特定が困難なとき
表面的な調査や定量データだけでは課題が特定できない場合、エスノグラフィーによって新たな視点を得ることができる。
エスノグラフィーから得られる示唆
- 調査者自身がユーザーの日常生活に溶け込むことで、長期的な視点から観察が可能となる。
- 表面には現れない、潜在的なニーズや不満を可視化する。
- 異なるコンテキストにおけるユーザーの行動を把握できる。
- 実生活に根ざした関係性や課題を発見することができる。
- 数値には表れない、ユーザーの行動の背景にある理由を深く理解することが可能となる。
エスノグラフィー調査における主な手法
エスノグラフィー調査は単なる観察ではなく、以下のような方法論を活用して実施される。
三角測量(Triangulation)
異なる視点・手法からデータを収集することにより、調査結果の信頼性と妥当性を高める手法である。たとえば、「観察」「インタビュー」「定量データ」の3つを組み合わせて分析することで、より実態に近い洞察を得ることができる。
参加型観察(Participant Observation)
調査者が対象者の環境に身を置き、観察を行う手法である。観察者の関わり方には段階があり、以下のように分類される。
- 被験者と積極的に関わり、行動を共にする
- 距離を保ちながら観察する
- 近すぎず遠すぎず、中立的な立場で関わる
状況に応じて、最も適切な関わり方を選択することが求められる。
フィールドノート(Fieldnote)
観察した内容を記録するための手法である。見たこと、聞いたこと、気づいたことを日記のように書き記し、記録を蓄積していくことが重要である。ログとして残すことで、後の分析にも役立つ。

エスノグラフィー・フィールド・ノートのサンプル
厚い記述(Thick Description)
「Thick Description(厚い記述)」とは、社会人類学者クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz)が提唱した概念である。
たとえば「ウィンクした」という行動を単なる物理的動作として記録するのではなく、それが「冗談を理解した」「合図を送った」といった文脈上の意味を含むことを記述する。
重要なのは、その行動が生まれた文脈(コンテキスト)を含めて観察し、記録することである。
同じ行動でも、状況によって意味は異なるため、記述には背景や環境も併せて含める必要がある。このように深い意味づけをともなった記録が「厚い記述」と呼ばれる。
- Benefits of Ethnography
http://www.experienceresearch.com/benefits-of-ethnography/ - Thick Description
https://en.wikipedia.org/wiki/Thick_description
活用シーンと事例
シーン | 活用事例 | 説明 |
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医療機器のUX改善 | 看護師の夜勤中の行動を観察し、タブレットUIを片手操作に最適化 | 実際の使用現場での制約条件(照明、手袋など)を考慮 |
工場内の業務効率改善 | 製造現場で作業員の手順を観察し、マニュアルアプリを再設計 | 現場では視線が離せないため、音声ガイドを追加 |
育児アプリの開発 | 親子の日常を録画・観察し、通知や操作タイミングを見直し | 育児中は両手が塞がっているため、音声入力を導入 |
インタビューとの違い
項目 | エスノグラフィー | インタビュー |
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方法 | 実地観察・参与 | 質問と回答 |
対象 | 無意識の行動・背景文脈 | 明文化された思考・意見 |
強み | 本人も気づかないニーズを把握 | 短時間で多くの意見が得られる |