どんな分野においても、未来学者達の描くまばゆいばかりのシナリオの大半は同じようなものです。それは完璧な設定における完璧な人々、そして絶対に失敗しないテクノロジーです。高価なバッテリー集約型の視覚的に複雑なテクノロジーの追加によって、世界は見た目にはどんどん完璧になっているように感じられます。
このようなファンタジーは無害なようにも見受けられますが、彼らのストーリーは、未来が実際にどのように実現されていくべきかに関する我々の理解を歪めることで、我々が未来を発展させていく方法を腐食させていると考えております。
光り輝く未来についてのブログ、エモタッチスクリーンフューチャー (EmoTouchscreenFuture) でほのめかされているように、これらのビデオのほとんどに共通点があります。
- 裕福でクリーンな風景
- 皆が健常者な未来
- 一切の失敗がない
- スクリーン、音声起動のインターフェース、そして遠距離間でやりとりする人々
- 人々の代わりに仕事をする人型ロボット
未来派産業に従事している方々は、未来が完璧でないビデオにお金を払うような顧客はいないと反発するかもしれません。しかし、私はあえて、不完全さは必須であると反論したいです。
それは単なる原理としてだけでなく、現実的な未来の概念が顧客たちにも恩恵をもたらすという基本的な事実に基づいています。完璧な未来を描く動画を観る度に、私は次のように問いただしたくなります。
- もし、何かが上手く行かなければどうなるのでしょう?
- バックアップのためのテクノロジーや手を差し伸べてくれる人々は存在するのでしょうか?
- その人々は幸せで、好待遇を受けているのでしょうか、それとも退屈して「停止状態」にあるのでしょうか?
未来は平凡なもの
我々は見た目ばかり良いものを求めることをやめて、実用的なものに焦点を絞らねばなりません。そして実用的なものは概して退屈に見えるものなのです。
成功しているテクノロジーは日常生活に溶け込んいます。それらは、下を見れば椅子のすぐ横にある電気コンセントのように便利です。宣伝されていません。ただそこにあるだけです。
電気は目には見えません。我々はスイッチでそれを操作します。電気のスイッチは我々の指先の延長です。必要とする時にはそこにあり、そうでないときには人目を引くことはありません。グーグルグラス (Google Glass) をはじめとする人目を引く出しゃばりなテクノロジーと比較してみてください。
ミドル・フューチャリズム:過去を生き返らせる
必要なのはシリコンバレーで人気を誇る、持続不可能なテクノ・ユートピア思考と、ポップカルチャーに好まれているディストピア画像とのちょうど中間に位置する、未来を予測するための新たなアプローチです。(そのアプローチは、私達の心を動かすものや、私達が目指すものではなく、ただ私達が避けるべきものを警告するだけのものです。)
皮肉にも、未来についてのより良い考えは比較的最近の過去から学ぶことが出来ます。例えば、現代の組織的思考に入り込む隙がなかった、パロアルト研究所が1980年代に出した研究結果などです。それらを呼び戻せば、我々は脆くてお金が掛かり、保持することが不可能であろう未来から救われるでしょう。これを「ミドル・フューチャリズム (middle futurism : 中ぐらいの未来志向)」と呼びましょう。
この元となる思想の持ち主、パロアルト研究所のマーク・ワイザーが1991年に書いた言葉です:
最も重要なテクノロジーは、目に見えず、意識されなくなるまで日常生活に組み込まれたものです… 逆に、シリコンバレーから発信される情報テクノロジーは、環境の一部になっているとは言い難いです…
パソコンを取り巻く不可解な雰囲気は「ユーザーインターフェース」だけの問題ではありません。それらの機械はコンピューティングを人々の生活の一部に溶け込ませることができないのです。そのため我々は、世の中のコンピューターへの見解を、人間の生活環境に合わせ、コンピューターを脇役へと追いやるものへと改めようとしています。
「パーソナルコンピューター」の次に「スマートフォンとスマートデバイス」を登場させ、およそ30年後、我々はまた同じ問題へと直面するでしょう。
それは、コンピュータを前面に押し出し普及し、決して日常生活に馴染むことのないよう奮闘するテクノロジー企業と、それらを後押しする未来学者に起因するのです。
従来の未来学者達は破壊のことばかり口にします。ミドル・フューチャリズムは、私達の注意、関与、そしてテクノロジーへの親近性を最適化する破壊のことのみ主張します。
従来の未来学者達は、テクノロジーを過剰に推奨します。
このことは、恐らく、根本的に実用性のないものですが、実際には多くのハードウェア製品の引き金となった、マイノリティ・リポートで言及されたモーションコントロールUIが代表的なものだと思います。
それは対照的に、ミドル・フューチャリズムは、「自然な人間環境を考慮する」テクノロジーの道ということを述べるパロアルト研究所のビジョンを受けております。
ミドル・フューチャリズムの5原則
顧客が望むかどうかは別として、未来学者として私達には、良いことだけではなく、事の全体像を提供する責任があります。私達は、意図しない結果や次善的状況があるということを完全に理解した、包括的な未来を必要としています。
テクノロジーの進化により、取り残される人がいるということに、特に注意をすべきです。そして、包括する解決策を主張するべきなのです。倫理にかなった未来とは、選ばれた人達だけではなく、皆のためになるべきなのです。そして、それは、大切な限られた時間と注意という資源を尊重し、人々を完全な人間として花開く手助けをするべきなのです。
したがって、ミドル・フューチャリズムは、テクノロジーが何とかして、人間の性質を良い方向へと改変させると盲目的に思い込むのではなく、以下の原則に沿って機能します。:
- ミドル・フューチャリズムは維持可能です。
それを作る会社だけではなく、それを使用する人々によってもです。
システムを修復することができること、そして、それに伴う長期的な仕事に対して個人的な誇りが持てるはずです。 - ミドル・フューチャリズムは透明性があります。
裏で行われているプロセスが見えない場合、私達はカフカのように不条理な現実を経験します。コンピューターの人工知能が間違えた結論を導き出す場合には、私達はそのことを知るべきで、修復の助けをすることができるべきです。 - ミドル・フューチャリズムは、定量的な連続して流れる時(クロノス)と一瞬一瞬の質的な時(カイロス)の両方を許容し、機械ではなく人間の時間を最適化することに焦点を当てます。
- ミドル・フューチャリズムは感情移入を認めます。テクノロジーの最も優れた部分と、人間の最も優れた部分を最適化します。
- ミドル・フューチャリズムは、長期にわたり有効です。組織が新しいテクノロジーを採用する場合、そのテクノロジーは、次のOSアップデートまでではなく、何十年ももつように、強固なものであるべきなのです。
デザインの観点から述べますと、ミドル・フューチャリズムは、維持可能な製品を人間の尺度でいかに作るかということのヒントを探すために、過去を研究します。
作ることができ、メンテナンス可能で、現存の文化に変化を期待するのではなく、その文化に合致する製品です。
ミドル・フューチャリズムとシステムのデザイン例
ミドル・フューチャリズム・デザインは、私達の愛するものに取って代わるのではなく、テクノロジーを使い、より良いものにします。以下がその例です:
- 日本には、障子のように、多くのミドル・フューチャリズムな製品が存在します。西洋のヒンジ付きドアに変えるのではなく、障子のアイデアはそのままに、現代化し、自動化させました。
- スプロール現象なく都市を繋ぐ路面電車(道路を維持するためには大金がかかり、自動運転の電気自動車は、私達が採掘できる以上のコバルトを必要とする可能性があります)。
- Square:私達が大切にする人との触れ合いを維持するだけではなく、売り手と買い手の間で、タブレットを回すという新しい動作を足すことでより触れ合いを強くした、販売及び購買を可能にしています。
- 自転車と自転車専用通路、公共交通機関、歩行者天国:
自動運転車に焦点を当てる代わりに、より小さいスケールの移動手段に焦点を当てる都市インフラにより、道路維持の経費を削減しています。 - スマートフォンとの連動機能を持つ電動スクーター:
楽しく、子供っぽく、そして少し危険です。歩行と自転車の中間にある移動手段です。
注意の引き付けを最小限に抑えるデザイン
私の最新の書籍であるDesigning with Soundは、テクノロジーに対してミドル・フューチャリズムでのぞみ、人間の体験の小さな一部分への変更が、製品やサービスに対する私達の体験を大きく変える可能性があることを示しています。
サウンド・デザインは神経を落ち着かせ、体験を向上させることができます。
例えば、病院に関わる音(鳴り響くアラームとビープ音、擦れるMRIの音)は耳障りですが、音声信号を使用し、これらの信号を、ホワイトノイズ、マスキング、そして音楽により消すことができます。
飛行中の不快さ、退屈さ、そしてストレスを考慮したヴァージン航空は、乗客を落ち着かせるよう、チェックイン、搭乗手続きの間、サウンド・デザインを使用しています。
私は、長期的で持続可能な未来について取り組むことを楽しみにしています。そして、あなたもその「ミドル・フューチャリズム」に参加されることを望んでいます。