コンテキストの落とし穴
マルチコンテキスト時代
インターネットは、当初は異次元な世界であり、私たちの普段生活している世界とは切り離されていました。その別世界への移動手段は、PCという名の抜け道でした。
マウスをクリックすればバーチャル(異次元)な世界へ入り、用が済めばその世界からまた抜け出し、普段の生活に戻ることができます。SFのようなこの高価な「異次元ワールド」は一部の金持ちやPCオタク、科学者、ホワイトカラーのための世界でした。
現在のインターネット接続の普及と周辺機器の低価格化は、その概念をひっくり返しました。PCからスマートフォン、コンソールから腕時計まで、おびただしい数のデバイスがキャンバスとなり、地球上のありとあらゆる人々の生活にインターネットが持ち込まれています。これはインターネットが私たちの世界の一部になり、様々なコンテキストを考える必要性がでてきたことを意味します。
コンテキストとは、なかなか明確な定義がしづらい言葉です。定義によっては、あるインタラクションの直接的な環境のみを指す場合もあります。しかし時間と空間が織り交ざったWebの中では、コンテキストは直接的な環境では語れません。物、デジタル、その利用場所といった社会構造に関係しています。毎日の生活でちょっと気を付ければ、コンテキストが重大な影響を及ぼしていることが分かります。
例えば、スポーツで考えてみます。チームの実力はどこでプレーをしても同じです。しかし、ホームチームは、自分たちに都合の良い環境、味方のファンの応援、そしてそれによってホルモンの反応が高まる可能性すらあり、実力以上に有利になります。これはコンテキストが勝算に影響を及ぼしていると言えます。
デジタルコミュニティは、マルチコンテキスト時代の考え方がまだ浸透していません。それは、デスクトップとモバイルの2つのコンテキストに対する長年の思い込みが一因と思われます。
思い込み(バイアス)
デスクトップ・コンテキストの思い込み
長年に渡りデスクトップ・コンテキストは当たり前であったため、Webデザイナーにはおなじみのものだと思います。ユーザーはデスクトップコンピュータの前にゆったりと座り、部屋は十分に明るく、筆記用具も整っている。時おり電話の呼び出し音や騒ぐ子どもたちに邪魔されることもあるけれど、作業に集中できている。これが長年浸透している思い込みのデスクトップ・コンテクストです。
モバイル・コンテキストの思い込み
モバイルユーザーは不安定な環境にいて、まるで映画で見られる「目の前で乗りたいバスに置いていかれた人」がそうです。自分の置かれた状況に悩まされ、ユーザーは突発的にスマートフォンを取り出して地元の情報やとある疑問に対する簡潔な答えを探します。これが長年浸透している思い込みのモバイル・コンテキストです。モバイルのプロダクトは場所のサービスや道案内のような即座に価値を提供するのに適しているため浸透したと思われます。
どちらのコンテキストの思い込みにも真実はわずかに含まれています。快適な状態でじっとしている時の方が集中しやすいのは確かですし、スマートフォンユーザーは休憩時間にスマートフォンをいじり回しています。しかし、これらの思い込みは完全ではありません。
まず、デスクトップのコンテキストは普遍的なものではありません。非常に様々なスクリーンサイズ、OS、ブラウザが存在するだけでなく、利用環境も実に多様です。思い込まれたディスクトップ・コンテキストのような環境とは一概には言えません。
例えば、イラストレーターのPCには2つの巨大なスクリーンが繋がり、イラストを描くためのタブレットが置いてあるでしょうし、子育て中の親であれば、わずかな時間を盗んでソファーでノートパソコンを利用しているかもしれません。
どちらのユーザーもじっとしており、集中しやすいと思われるので、一括りにデスクトップの思い込みに分類されやすいかもしれません。しかし実際はそれぞれのユーザーは全く異なる状況でパソコンを利用しています。
コンテキストの多様化は進み続けています。Webをスマートフォンで初めて体験した人は、多くの国で増えています。ハードウェアとインフラ環境の変化によって、デスクトップ・コンテキストの思い込みでは考えもつかないような環境の人が数百万にのぼるようになったのです。
モバイルのコンテキストの思い込みも同様です。昨今「モバイル」と呼ばれるデバイスはあまりに多くの種類があり、モバイルという言葉で共通したカテゴリ分けもできません。人はスマートフォン、ラップトップ、ネットブック、そしてタブレットをあらゆる状況で利用します。電車内でもキーボードをつければスマートフォンをデスクトップのように使うこともできてしまいます。
NTT DoCoMoの調査では、スマートフォン利用の60%は室内で使われ、さらにテレビ試聴中や、コンピュータを使用しながら使われることが多いことがわかりました。(参照データ:”Mobile as 7th of the Mass Media“, Ahonen T. futuretext, 2008)
インターネットに接続された世界では、私たちの想定していなかった多様なコンテキストが存在します。つまり、私たちのプロダクトを様々な人たちが様々な場所で様々な時間帯に使うことなのです。
Paul Dourish(ポール・ドーリッシュ)教授は、私たちのコンテキストの把握に誤りがあると指摘しています。コンテキストは、分かりやすく普遍的なものではなく、移り変わるものであるとDourish(ドーリッシュ)教授は主張しています。
行動そのものがコンテキストをつくりだし、保ちつづけるのです。(『What we talk about when we talk about context』, Personal and Ubiquitous Computing, 8(1), 19-30)。
Dourish(ドーリッシュ)教授のモデルによると、コンテキストは変化しやすく、暗黙の了解の上に成り立っています。会社の休憩室で、他の人に知られたくないような会話をしているシーンをイメージしてください。そこへ上司が入って来たり、誰かが議論になるような意見を述べた時点で想定していたコンテキストは合わなくなったりします。
スマートフォンユーザーが、新規登録フォームする際、自分が思っていた項目よりも長く感じ、スマートフォンのキーボードでは非常に面倒であると判断し諦めてしまいます。
コンテキストの思い込みは、今日のテクノロジーを取り囲む多様性の中では正義とはなり得ません。確実にユーザーのコンテキストを理解し尽くした優れたプロダクトを作るためには、より先を見て、身をもってコンテキストを調査しなければなりません。
そこには2つの方法があります。1つ目は、デバイスを使ってデータを集め学ぶことであり、2つ目はリサーチすることです。
コンテキストの理解: データから学ぶ
デバイスはかつてないほど多くをこと教えてくれます。これらを利用しない手はありません。場所、動き、気温など、感知できるデータの断片を収集することによって、パターンを見つけ出し、それに応じて使い方のコンテキストを組み立てていくのは素晴らしい発想です。データを取得するのはさほど難しくないです。
(ブラウザでは、ネイティブアプリほどの情報収集はできませんが)ますます進化するテクノロジーには驚きを隠せません。しかし、データ分析によるコンテキストへのアプローチは危険なものになり得ます。なぜなら、データが人の意志や、何をしているのかまで表すことはできないからです。
映画館にいるのは映画を見るためかもしれないし、健康診断を受けるためかもしれません。相関関係(「駅にいる人は時刻表を見たいと思うことが多い」)と因果関係(「ある人が駅にいる。彼は時刻表を見たいに違いない」)の混同は昔からある論理的な誤りであり、この”間違い”はプロダクトに非常に悪い影響を及ぼし得ます。
”間違い”の仮定が掛け合わされていくことによって更に、真実への道は遠のいてしまいます。設定したそれぞれの仮定が90%正しいという確信があったとしても、その仮定が5つ並んだ時点で、それが正しい可能性はコイン投げのような賭けと大して変わりません。
その不正確な特性だけでなく、データ分析によるアプローチには他にもリスクがあります。収集するデータの利用方法について透明性に欠けるプロダクトは、プライバシーを侵害したり、ユーザーを怖がらせたり、怒らせたりしてしまう可能性があります。
また、この方法はコンテキストを静的で、行動から独立して関係のないものとして見ています。したがって、人々がテクノロジーや環境に適応したり影響を受けることによって、時間と共に行動が変わっていくことを無視してしまうのです。
これらの懸念は、センサーのデータが使えないことを意味しているわけではありません。間違いを犯す危険性はセンサーデータを唯一の洞察の根拠とした取り扱った結果、誤った仮定をすることにあるのです。もし、これらの仮定とその影響力がわずかなら、センサーデータからコンテキストを仮定するのは比較的害が少ないかもしれません。
しかしながらコンテキストは、機械だけに任せて捉えるには難しい、人間的なものです。すばらしい設計は、人から作られるものであって、デバイスやソフトウェアから生まれるものではありません。そのため、データから学ぶだけでなく、ユーザーが実際に使用している時のコンテキストをリサーチすることに日々の時間を利用しましょう。
コンテキストの理解: リサーチする
リサーチは仮定を事実に変え、決断する際の確信を強めてくれます。正しいリサーチは、チーム内の共感を高め、他では考えつかないような方法へ導いてくれることもあります。多くのリサーチメソッドがありますが、正しい方法を選ぶための近道はありません。
定量的なツールから始めたくなるのは無理もありません。定量的な方法は「量」についての満足感は得られますが、ただ、コンテキスト理解においての大切なのは「質」なのです。コンテキストの詳細はつかみにくく、数字の間に埋もれてしまうこともよくあります。量的なメソッドも悪くはないスタート地点ですが、質的なリサーチも伴えばベストでしょう。
インタビュー
インタビューはユーザーの動機、優先順位、メンタルモデルを理解するのに役立ちます。主なコンテキストの疑問を網羅する方法を下記にまとめますが、興味深いことが起こった時は、事前に用意した質問は脇に置いておきましょう。実際に会って行うインタビューは被験者と信頼関係を築き、ボディランゲージからも学び取ることができるために理想的ですが、電話やSMSなどインスタントメッセージを使ったものでも十分可能です。
インタビューの最大の弱みである「自己申告」という性質はコンテキストのリサーチの時には悪化してしまいます。なぜならインタビューの参加者は自身のコンテキストを正確に表現していないかもしれませんし、そのコンテキストに関連のあるものを省いてしまうかもしれないからです。
コンテキスト上の質問はよりユーザーを理解することにつながります。これは例えば、リサーチャーが中立的な観察者として、ユーザーの行動についていき、時折理解を明確にしたり詳細を思い出してもらうために質問します。もう少し簡単な方法は、単に一般の人々を観察することです。
これは日常的に使われるプロダクトに理想的な方法です。例えばスーパーマーケットでぶらぶらして買物客を観察してみたり観光スポットに腰掛けて、旅行者が地図や通りの名前を探し回るのに注目してみるといったことです。人々が自分の周囲の世界を予期せぬ方法で操り、クリエイティブな方法で物事を成し遂げるのに気付くかもしれません。
このような現場でのリサーチは人々が自分自身の置かれた環境で目的を達成するために行うクリエイティブな解決法を見ることができる唯一の方法となることがしばしばです。
デジタルフィールドワーク
デジタルフィールドワークも似たような考え方を利用できます。人々がある行動に対して何を話したり考えてたりいるかを知るために、ソーシャルメディアで徹底的に検索したり、ユーザーの環境と背景を理解するヒントとするために専門家のフォーラムに参加したりすることを通じてコミュニティ、対象ユーザーの言語、考え方にどっぷり浸かれば、必然的にコンテキストは伝わってくるでしょう。
ダイアリースタディ
ダイアリースタディは、特定のプロダクト、活動、ブランドとユーザーの長期的な関わりをリサーチするのに向いています。複雑で、決断までに時間がかかってしまう物事についてのコンテキストを理解しなければならない時に、これは非常に有効です。ダイアリースタディという名称は、参加者に日記帳を渡し、日々関連のある出来事を書いてもらう方法から来ています。
ユーザーは一語一句を正確に書く必要はありません。人がどのように車を選ぶのか知りたいのであれば、ユーザーに、目に入った車の広告を写真に撮ってコメントを付け、スクラップブックを作ってもらったり、最近考えたことについて、日々短い質問に答えてもらうのもよいでしょう。
切り口-1: デバイスに続きます。
本記事は、2013年に記載されたケニー・ボールズによるコンテキストの紹介記事を翻訳したものです。
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