
エンジニアスタッフのかじしまさちこです。
2026年5月15日、メアリアン・ウルフ著『プルーストとイカ』の読書会に参加しました。この本は、文字の歴史と「読む」という行為が人間の脳をどう変えてきたのかを探る一冊で、以前の読書会で取り上げた『ネット・バカ』でも引用されていました。
私たちは普段、当たり前のように文章を読み書きしています。小説を読めば、目で文字を追っているだけなのに、頭の中には情景が浮かびます。
読み進めるうちに、私たちが当たり前に行っている「読む」という行為が、人類が長い時間をかけて獲得した高度な技術であることに驚かされました。さらに読書会では、この話は生成AIにも通じるのではないかという議論へと発展しました。今回は、その中でも印象に残った学びを紹介します。
今回特に印象に残ったのは次の2点です。
- 読むために脳は既存の回路を転用していること
- 文字は人類が生み出した「外部記憶装置」であること
「読む」は人類が獲得したテクノロジーだった
著者は、人間の音声言語と文字の違いについて説明しています。人間は特別な訓練を受けなくても話せるようになります。一方で、読み書きは生まれつき備わった能力ではありません。
文字はシュメールやエジプト、中国など世界各地で独立して誕生し、長い時間をかけて改良されてきました。つまり文字は、自然界に最初から存在していたものではありません。人類が必要に応じて生み出し、試行錯誤を重ねながら改良してきた技術なのです。
この点を知って、私は「読むこと」を少し違う目で見るようになりました。普段何気なく使っている文字も、実は人間の思考や社会のあり方を大きく変えてきた発明なのだと感じました。

文字は人類が発明した「外部記憶装置」
初期の文字がいかに扱いにくいものだったかも紹介されています。
- 書く方向が統一されていない(右から左、左から右、上から下など)
- 句読点がない
- 文字に決まった順番がない(アルファベット順のような概念がない)
- 母音字がない
読む方向が定まらず、句読点もなく、母音を文脈から推測しなければならない。そんな状態では、意味を理解するだけで大きな認知リソースを使ってしまいます。

初期の文字は、読むだけでも大きな負荷(認知負荷)がかかりました。文字体系が洗練されるにつれ、人は「読む」ことに脳の力を使い切らずに済むようになり、考える余裕が生まれました。
文字が読みやすくなることで、人間は記録を残せるようになっただけではありません。考えるための余白も手に入れたのだと思います。
脳は既存の回路を「読み」に使っている
人間には、音声言語を扱うための生物学的な基盤があります。しかし、文字を読むための専用の遺伝子があるわけではありません。では、私たちはどのように文章を読んでいるのでしょうか。

脳は新しい器官を作るのではなく、もともと物体認識に使っていた領域を文字認識へ転用しています。著者はこれを「ニューロンのリサイクリング」と呼んでいます。
この考え方を知ると、読書の見え方が変わります。読むことは、単に知識を得る行為ではありません。脳に新しい使い方を覚えさせる訓練でもあります。「読む」とは脳の働き方を変える行為なのだと感じました。

日本語は脳をたくさん使う言語だった
使う言語によって脳の働き方が変わることにも触れられています。英語のような表音文字では、左半球(左脳)にある特定領域が発達するとされています。一方、漢字のような表意文字を使う中国語では、両半球(左脳と右脳)の広い範囲が動員されるそうです。

さらに、漢字・ひらがな・カタカナを使い分ける日本語は、文字処理の負荷が特に高い言語だとされています。普段は何気なく文章を読んでいますが、脳の中ではかなり高度な処理が行われているのです。

その一方で、脳への負荷が高いことは、必ずしも悪いことだけではないとも感じました。複数の文字体系を切り替えながら読むことは、負担であると同時に、日本語ならではの表現の豊かさにもつながっているのかもしれません。
文字と生成AIは似た構造を持つ
読書会では、この話は生成AIにも通じるのではないかという議論になりました。
文字は記憶を外部化する技術でした。生成AIもまた、文章作成やプログラミングなど、人間の思考や作業の一部を外部化する技術です。そう考えると、文字の発明とAIの普及は、意外なほど似た構造を持っています。
作中には、次のような印象的な一文があります。
「超越して思考する時間という不思議な目に見えない贈り物は、文字を読む脳の最大の功績だ」(本書より引用)
文字の進化が「考える余白」を生み出したように、生成AIもまた、私たちに新たな余白をもたらす可能性があります。画像作成やプログラミングをAIに任せれば、以前なら時間をかけて試行錯誤していた作業も、短時間で形にできます。これは大きな可能性です。
AI時代に考える力をどう残すか
一方で、便利になるほど、自分で考える時間や試行錯誤する機会は減るかもしれません。私自身、AIでコードを書くようになり、「最後まで自分で考え抜く力」が弱くなることへの不安も感じています。
メモアプリにも似た面があります。予定やアイデアを外部に預ける(認知的オフローディング)ことで、抜け漏れは減りました。しかしその分、「覚えておく」必要は少なくなり、短期記憶を使う機会も減っているように思います。
文字の発明が人間の思考を変えたように、私たちは今、AIやデジタルツールに合わせて、再び脳の使い方を変え始めているのかもしれません。大切なのは、AIに依存しきることではなく、考える力を手放さないことです。任せる部分と、自分で考え続ける部分を見極めながら向き合っていきたいと感じています。

読書会で生まれたもう一つの問い
読書会では、言語と思考の関係についても議論が広がりました。
日本語は認知負荷が高い言語です。そこから参加者の間で、次のような問いが生まれました。「よりシンプルな文字体系を持つ言語の方が、思考のリソースをイノベーションに回しやすいのではないか」。
これは著者の結論ではなく、読書会の中で出てきた仮説です。言語だけで創造性や技術革新を説明できるわけではありません。それでも、書籍の内容をもとに「もしかすると、そういう見方もできるのではないか」と考えを広げられるのが、読書会の面白さだと感じました。
一人で読んでいたら、「文字の歴史を学ぶ本」として終わっていたかもしれません。しかし読書会では、「文字とAI」「言語と思考」といった新しい問いが生まれました。他者の視点が加わることで、一冊の本は自分の仕事や社会の変化ともつながっていきます。それこそが、私が読書会に参加する一番の価値だと感じています。

